週刊朝日に あるエッセイが載っていた。
「あなたは ”なぜ今の仕事をしているのか” を分析したことがありますか?」と 読者に問いかけていた。
毎日ただやっつけるだけの仕事なのか、やりたくってしょうがなかった仕事なのか、どっちですか、と。
自分の状況を分析するために、以下のことを勧めていた。
ー 「小学校の文集に書いた 将来の夢」と今の仕事を比べてみる。
今の自分がどれだけ その近くにいるのか、遠ざかっているのか。
今の仕事が 「本望なのか、不本意なのか」。
そして 現在に至るまでの 人生の分岐点で その都度 自分がどのような決断をしてきたのか。近づく 選択をしてきたのか、そうでないのか。
もし、小学校6年の時に描いた自分の将来の理想像が、まだ きらきらと輝いているものであれば、今からでも 決して遅くはなく、その夢に近づく 決断をし始めるべきだ、という。
「夢は死ぬまで おいかけられるもの」
そこで自分の文集の「将来の夢」を思い出そうとした。
私はナニになりたいと そこに記したのだろう。
小学校6年、西部劇にハマっていた私が、「アメリカに行きたい」と 書いたのは確かだ。
保育園時代、かわいらしく 「絵描きさんになりたい!」と言った私に、先生が、「そんな職業はお金にならない」と言った日からか、それとも 中学校3年の時に 「洋服のパタンナーになりたい」と言った私に、母親が 「そんな現実味のないことを言うんじゃない」と 言った日からか、憧れの ファッションモデルには 顔も背も寸なしであることを 自覚した日からか、仕事的にナニをやりたいのか 自分でまったくイメージできなくなっていたように思う。
「今からでも 夢はおいかけられる」 というけれど、それができるのは、自分の夢がナニかわかってることが 第一条件。
私は 自分自身で まだ Struggleしてる感じがする。
18歳の時の 進むべき方向や 何をやりたいのか わからず、頭の中がまっちろだった あの頃から、今 少しでも違いはあるのかしらん、と思う。
看護婦さんになりたい、とか、 スチュワーデスさんになりたい、とか、具体的で確固たるものは 相変わらずない。
欲張りなのか、Lazyなのか。
Corporateの車輪の一部でなく、自分という存在がクライアントとの間で、直接的な影響をもたらし、RelationshipとCommunicationの産物として 利益と喜びと生きがいが発生する。
”何か”Creativeな仕事を そういう環境の中できると 最高に幸せだろうなあ、と想像する。
That's it.
You see,
”何か”がみそなのだ。「それは いったいナンなのだああああ!!」なのである。
一生コレをやっているような気がする、、、。
「まだ 間に合う!」 と言っていられるうちに この”何か”を 具体化しなければならない、、、。
<参考> 週刊朝日2011年7月29日号
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