世の中には、一人でバーやレストランに行ける人と、行けない人がいると思うけど、
私は完全に行ける人の枠に入る。
昔っからそれは平気だった。
なんでだろう。
まず、なんで 行ける人と行けない人がいるのだろう。
その違いって 何なんだろうね。
私は親に鍛えられたと思っている。
幼稚園の後半や、小学の低学年から 病院に通うのも一人で行かされたし、留守番も一人でしたし、初インスタントラーメンも電話のインストラクションで 作らされたし。
常に 独立している事、一人でマネージ出来る事、を強いられた。末っ子なのに。
あとは 一人遊びが上手だった、というのもあるのかな。
思いっきり空想の世界に入った Imaginary worldの少女だった。
空想の世界で色んなストーリーの中にいる自分が好きだった、と思う。
子供の頃、「喫茶店」=大人の世界にに一人で入った。
店の人や ウエートレスのお姉さんが 私の事をどう思っているのか、しっかり感じていた。注文した物は、やっぱりそこは子供で、アイスクリームだった。
ワンスクープ、ウエハース一枚付き。
私はいったい何を思ってそういう行動をしていたんだろう。
オトナの世界に触れてみたかった、という興味本位だけではなかった感じがする。
よくわからないな。
20才になって、バーとかにも一人で行って、他の客と仲良く飲んだり。
私は 人見知りが激しく、シャイで、なかなかオープンに自分を表に出せない人間なのに。少なくとも子供の頃はそうだったし、親にはいつもそれを指摘されていた、のにもかかわらず、一人で行動が出来る。これって何なんだろうね。
地元では、高校の先輩の隠れ家みたいなバーに一人でしょっちゅう行ってた。従妹のダンナのバーにも、従妹が知らないうちに一人で常連になっていた。
アメリカに移ってからもその習性は同じ。
たまにふらっと一人でバーに行く。レストランにも行く。
バーテンと話たり、隣の客と話したり。
最近、新しい本を買った。
私の大好きなStorm Largeの「Crazy Enough」という本。
今その本から手が離せない。
仕事帰りに、ふらりとその本を持って バーに入る。
カウンターに座って Bubblyを頼む。
ストリート側の窓が全開で、柔らかい風が入って来て、気持ちいい。
客もまばらで、静かな時間が流れている。
本を開いて、Stormの子供時代の世界に入って行く。
なんか、こういう時間、カフェで過ごすような時間、
私は時々、コーヒーの替わりに、美味しいワインを選ぶ。
こういう時間、たまには必要だと思う私。
友達にテキストして呼び出そうと思ったけど、止めた。
今日は一人でこの空間と時を楽しみたいと思ったから。
Wednesday, August 10, 2016
Tuesday, August 2, 2016
いってらっしゃいと おかえりなさい
昨日 江原さんの本を友達から借りて読んでいたら、こんな節があった。
言霊とか言うように、自分の発する言葉には、パワーとエネルギーがある、という話の中で、
「いってらっしゃい」は 守りの言葉で、「おかえりなさい」は お祓いの言葉だと。
うわっ、て思った。
これはすごい。そういう捉え方って、今まで考えた事なかった。
何故 いってらっしゃい、やら おかえりなさい やら言うのか、親も、誰も、教えてくれなかった。ただ、そう言うしつけをうけ、この人生、そうしてきた。日本全国民がそうしつけを受け、日常 自然にそれを行っているように。
Mr. Hubbyに最低の挨拶の言葉は日本語で言わせようと、「頂きます」やら「ごちそうさま」やら覚えさせた。「ただいま」「おかえり」は日常化している。「いってらっしゃい」「いってきます」は中途半端な感じで 使ったり、使わなかったり。
これらの「挨拶」を教える時に、「意味」とか「英訳」の説明に困った。古い挨拶の言葉だから、発祥はもっと深い意味があるのでは、と思ったりもしたけど、わからずしまい。
「私なり」の適当な解釈で Mr. Hubbyには説明していた。「必ず言わなきゃいけないんだ」と添えて。
「いってらっしゃい」が 守りの言葉で、「おかえりなさい」が お祓いの言葉だとしたら、本当にちゃんと日常言うべきだ、と思った。
帰ってきたMr. Hubbyに 早速その重大さを説明し、これからきちんと 家を出る時、家に帰った時に、そういう気持ちを込めて お互いに声を掛け合うようにしよう、話をした。
なんか、そういう声掛けの大切さを 改め学んだと思った。
それが言霊となって、ポジティブなエネルギー作用となるならば、やるでしょう。
しかも そういう意味があるんだと思えば、言う時の気持ちもこもるしね。今までみたいに、ただ言い放つのではなくてね。
これはちょっといい発見だったな、と思った。
ホントたまには 本を読むもんですわ。
言霊とか言うように、自分の発する言葉には、パワーとエネルギーがある、という話の中で、
「いってらっしゃい」は 守りの言葉で、「おかえりなさい」は お祓いの言葉だと。
うわっ、て思った。
これはすごい。そういう捉え方って、今まで考えた事なかった。
何故 いってらっしゃい、やら おかえりなさい やら言うのか、親も、誰も、教えてくれなかった。ただ、そう言うしつけをうけ、この人生、そうしてきた。日本全国民がそうしつけを受け、日常 自然にそれを行っているように。
Mr. Hubbyに最低の挨拶の言葉は日本語で言わせようと、「頂きます」やら「ごちそうさま」やら覚えさせた。「ただいま」「おかえり」は日常化している。「いってらっしゃい」「いってきます」は中途半端な感じで 使ったり、使わなかったり。
これらの「挨拶」を教える時に、「意味」とか「英訳」の説明に困った。古い挨拶の言葉だから、発祥はもっと深い意味があるのでは、と思ったりもしたけど、わからずしまい。
「私なり」の適当な解釈で Mr. Hubbyには説明していた。「必ず言わなきゃいけないんだ」と添えて。
「いってらっしゃい」が 守りの言葉で、「おかえりなさい」が お祓いの言葉だとしたら、本当にちゃんと日常言うべきだ、と思った。
帰ってきたMr. Hubbyに 早速その重大さを説明し、これからきちんと 家を出る時、家に帰った時に、そういう気持ちを込めて お互いに声を掛け合うようにしよう、話をした。
なんか、そういう声掛けの大切さを 改め学んだと思った。
それが言霊となって、ポジティブなエネルギー作用となるならば、やるでしょう。
しかも そういう意味があるんだと思えば、言う時の気持ちもこもるしね。今までみたいに、ただ言い放つのではなくてね。
これはちょっといい発見だったな、と思った。
ホントたまには 本を読むもんですわ。
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