Monday, June 25, 2012
生きているということと、死を迎えること 1
Mr.HubbyのGrandpaが97歳の誕生日を目の前にして、亡くなった。
音楽が好きで、いつもギターを弾きながら歌っていた。
バンドを結成していて 毎週仲間と集まり、定期的にライブショーを行っていた。
2、3年前、Mr. HubbyがRecordingをしてあげた日、Grandpaの90ウン歳の記憶力に驚いた。楽譜を見ずに、次から次へと いろんな曲を弾き、歌っていた。
Techonologyにも興味があり、ComputerやInternetに 怖気づくこともなく、いつも先端の情報に敏感で、Recorderや カメラ、ビデオカメラなど 最新の物を使ってた。
1時間半離れた所に住んでいるパパが どんなに自分と一緒に住もうと言っても聞かなかったGrandpa。
バンド仲間のいる町から去ることは 絶対にできなかった。
亡くなる一ヶ月前も 恒例のライブをバンド仲間と行った。
毎週末、パパはGrandpaを訊ねて 一緒にお茶をしたり、ご飯を食べたりしていた。
亡くなる一週間前の日曜日も 同じように二人で時間を過ごした。
水曜日、具合が悪くなったGrandpaが 自分でLife line サービスを通して 救急車を呼んだ。
運ばれて24時間以内で、眠るように亡くなった。
大往生で、家族の手をかけてないで亡くなったGrandpa。
すごい死に方だな、と思った。
パパが電話で 泣きながら報告してきた。
”I just can't believe it. I was with him this Sunday, chatting and spending time with him. And 4 days later, he is gone."
Grandpaが亡くなった週末、パパと一緒に Grandpaの家に行った。
さっきまで生きていた生活が残っていた。
また戻ってくるかのごとく、居間や台所や寝室が残っていた。
でも もうGrandpaは居ない。
消えてしまった。もう存在しない。
不思議だった。
まだ水で土が濡れている鉢植えのプラントがあった。
私は それを形見としてもらった。
この植物は 引き続き 水を与えてもらって 生き続けなければならない。
私がGranpaの後をついで 水を与えていくよ。
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