この間 突然自分の 子供の頃のことを思い出した。
いくつだったか 覚えていない。
6歳か 7歳か。もうちょっと大きかったかな。
ある時、友達と ある人の家で、開かない雨戸を外から明けようとした。
古い家の 古い木の雨戸は 頑固に閉ざされ 友達がどんなに うんうん 唸りながら 押したりひっぱたりしても やっぱり 1センチも開かない。
それを見かねた私が、ちょっと私にやらせてみ、と、交代する。
その時の 自分自身が発した言葉が 今でも 忘れられない。
「私には 神様がついているから。私が 神様にお願いすれば 何でも必ず聞いてくれるから。」
そして 私は 目を閉じて この開かない雨戸を開けてくれと 祈った。
もう この辺で 充分私の願いは神様に届いただろう、というところで 目をあけ、その雨戸を開きにかかった。すらーっと雨戸が横にすべっていくイメージで。
ところが やっぱり 友達の時と同じく、どんなに腰を踏ん張って押しても、うんとも すんとも言わない。
あれ、おかしい。神様に私の願いが ちゃんと聞こえなかったのかな。
そして もう一度 目を閉じて 念入りにお願いする。
でも 同じこと。雨戸は開かない。
何故 あの時に あんなに はっきりと あんな言葉を発したのか、不思議でならない。
「私には 神様がついているから。私が 神様にお願いすれば 何でも必ず聞いてくれるから。」
何を根拠に 私は そう強く信じていたのか。
そして 願いが かなわなかった時の 私の失望感も 強烈に残っていて 忘れられない。
神様はいないんだ、という事を その時に始めて 悟ったような。裏切られたような、なんともいえない気持ちがした。
そんな 話を ある人に最近すると、
人間て、そういうDevine Energyみたいなものを 感じる Spiritual powerを ちゃんと備えいるものだけど、成長していいく中で 失っていくんだよ、という言葉が返ってきた。
自分は 何でもできる という、その可能性を知っているものだけど、そのPureなものが、成長していく過程の中で いろんなもので 塗り固められいく。大人になった時には かちんこちんになってしまうんだよ。
それを 壊せるのは 自分自身の勇気だけ。
自分だけが その勇気をもって 石膏の壁を叩き割れる。
そして 「自分は なんでもできるんだ!」っていう 自分を出してあげられる。
それを聞いた時、すごく納得した自分が いた。
もう そろそろ 壁を壊して また あの時の自分を呼び出す時なのかも、なんて 思ったよ。
これから どうやって 自分の行き方を見出していくか、っていう時に、とっても必要な要素だと 開花したように、感じちゃった。
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