Sunday, November 29, 2015

読書感想「ただの私」

日本に帰っている間にしたのは 古本屋巡り。
日本はまだ本屋が強い事にびっくり。駅の周辺や商店街や 至る所に本屋がある。
電車の中で、勿論スマホにかじりついている人は多くいたけど、単行本を読んでいる人達も健在だったことに ちょっと嬉しくなった。

今回何冊か古本買ったんだけど、今読み終わったのが、ヨーコオノの「ただの私」。
この本の出版自体は1990年だけど、差し込まれている記事は 70年代に雑誌などに乗せられたものだったりする。
その当時の彼女の男女平等やフェミニズムに関する考え方が 非常に面白いと思った。

もし今 男女平等を会社や社会で謳って もがいている女達がいたら、是非読んで欲しいと思った。違う角度から 男を見れるから。そして 男女平等をそんな必至になって、目くじら立てて 頑張る必要はない。ただ、うまーく男達を使ってやればいい、なんて思えてくる。

私の理解を簡単にまとめると、
女はとてもパワフルである。もうそれは持って生まれた自然の現象。子供を産める、という特別な機能が 女に力を与えている。子供を産んで 人類の明日を繋げていける能力と力を持っている。女が男の種なしで妊娠できるようなカラダだと、男は存在の意味を無くす。
男は 同じように、またはそれ以上にパワーを持っている事を証明しようと必至である。女を洗脳し、「弱い物」という立場を作り上げ、その上に立つ力を誇示している。コーポレーションや、政治や、戦争。 男社会のそれらは、力の見せ合いの他何ものでもない。
女もまた「強くなくてはいけない」というように男を洗脳してきた。それは女の矛と盾の為に。
だから この2千年以上の間に形成された男女の文化を 「男女平等」と改革していくのは 容易ではない。でも女はその運動を家庭の中から始めて行く事が大事。なぜなら家庭内で本当に力を持っているのは女だからである。

この本を読むと、「男にやられている」と思っている女達に是非呼んで欲しいと思った。会社のボスや同僚、ダンナや付き合っている男と折り合いが上手くいかない女達。見方を変えれば、男は小さくて弱い生き物である、と ある意味可哀想なくらいになってくる。必至になって正面から威勢をはって戦うのではなく、こっちの頭を使ってあげたほうが上手くいくんじゃない、なんてね。

よく見ると、大きなコーポレーションも、政治も、繰り返される戦争も、テロも すべて男社会の中で起こっているパワーの表示である。
そして同時に、自殺をするのも統計的に男が多い。
なんて 見てくと 面白いなって思う。
ちょっと違う観点から「男女平等」に対する問題を見れた気がする。

人それぞれ受け方は違うと思うけど、是非読んで欲しいわ。得に女に。



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